稲川直衛とは? わかりやすく解説

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稲川直衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/18 01:09 UTC 版)

稲川 直衛
生誕 1886年12月27日
日本 新潟県
死没 (1949-03-28) 1949年3月28日(62歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1907年 - 1941年
1944年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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稲川 直衛(いながわ なおえ、1886年明治19年)12月27日[1] - 1949年昭和24年)3月28日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

経歴

1886年(明治19年)に新潟県で生まれた[1]陸軍士官学校第19期卒業[1]1930年(昭和10年)5月に歩兵第78連隊国境守備隊長に就任し[2]1936年(昭和11年)8月1日陸軍歩兵大佐進級と同時に高知連隊区司令官に着任[2]1939年(昭和14年)3月9日に留守第11師団司令部附となり[2]8月1日に陸軍少将に進級した[2]

1940年(昭和15年)3月に独立混成第7旅団長に就任した[1]1941年(昭和16年)3月1日北部軍司令部附となり[1]4月28日に待命[1]4月30日予備役に編入された[1]。その後召集され第11軍司令部附を経て[3]1944年(昭和19年)4月11日西部軍司令部附となり[3]7月14日に第42警備司令官に就任した[1]1945年(昭和20年)2月22日に光州師管区兵務部長に転じ[1]3月31日旭川師管区兵務部長に就任した[4]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

栄典

勲章等

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 福川 2001, 91頁.
  2. ^ a b c d 外山 1981, 251頁.
  3. ^ a b 第67号 昭和19年4月13日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120906700 
  4. ^ 第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900 
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」37頁。
  6. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。 ISBN 4829500026 



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