私盟会社三井銀行創立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:50 UTC 版)
家政改革を進め官金取引業務と府県為替方の拡充に努めた三井は、小野組・島田組の破産後も難局を乗り切る。1875年(明治8年)3月、三井組を「三井バンク」と改称し、三井八郎右衛門高福らを発起人とし、創立出願を東京府知事あてに提出した。当時の銀行条例では国立銀行以外に「銀行」と称することを禁止していたが、国立銀行が第一・第二・第四・第五の四行に留まっていたことなどから抜本的改正を余儀なくされ、1876年(明治9年)、駿河町三井洋館に日本最初の私立銀行が設立された。各地に店舗を展開し、分店をランク付けした。一等は大阪、二等は西京、横浜、神戸である。 三井銀行は地租の納税窓口を担当していたため、1876年(明治9年)に地租改正反対を訴える伊勢暴動の際には、三重県の松阪と山田(現・伊勢市)の店舗や取締の自宅を焼き討ちにされた。四日市でも攻撃目標とされたが、何とか放火を阻止した。
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