福岡・薩摩藩への命令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 23:14 UTC 版)
11月20日、総督府は、福岡熊本久留米薩摩佐賀の五藩に、長州より五卿を受け取り、分散して預かるよう命令を下す。また五卿の長州からの受け取り及び各藩への分送は福岡藩が行うこと、さらに実行の際は五藩がよく相談して行い、必要な場合は兵力を以って強行する事を命じた。脱藩浪士については福岡藩に『便宜の慮置可被有』という曖昧な命令を出し一任した。これにより五卿九州行についての処置は、内戦回避に積極的な姿勢をみせる福岡藩と薩摩藩がイニシアチブを取ることとなった。 同時に九州を所管する征長軍副総督越前藩主松平茂昭へ、五卿受領は征長軍の『處分事務外』なので、五藩が五卿請取の際に長州と武力衝突を起こしても、小倉に参集させた諸藩の軍勢を動かしてはならないと命じた。征長軍として長州と戦端を開くのを嫌ったための処置と思われるが、松平茂昭は五卿受領の際に戦闘に至った場合、副総督の責任として傍観できないと反発した。総督府は松平茂昭に折り返し、『時宜に応じ更に指揮する所あるべし』という曖昧な返答を出した。 九州諸藩に戦争条件の条件が伝わると広島と同じく軽すぎると反発が出た。総督府は九州諸藩と副総督松平茂昭を説得するため小倉へ西郷隆盛を派遣した。
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