五卿九州行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 23:14 UTC 版)
同日、三條実美以下五卿が馬関より渡海した。 馬関に残存していた諸隊の留守部隊とそれを統括した伊藤俊輔は、五卿の渡海を邪魔しなかった。五卿を止めなかった理由について、状況が不透明であり諸隊幹部としても挙兵成功を確約できず、万一の際は五卿へ多大な迷惑をかける可能性があったため、あえて五卿自らの判断に任せた為と言われる。五卿の輸送は萩藩政府役人と、長府藩が実行した。 ただし五卿の長府滞留を強く願っていた高杉は後にこれを聞いて大いに怒り、深酒して以下の様に心境を歌った。 死を以って 遠登女申すを 遠登まりなされ 長門國にも武士もある
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