神宮大宮司
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1985年(昭和60年)10月7日、推薦の上申を昭和天皇が承認したことにより、俊は伊勢神宮大宮司に昇任した。以降毎年6月には、大宮司として勅使参向の神社宮司33名と共に昭和天皇に拝謁した。 1987年(昭和62年)には、青森市にある善知鳥神社の正遷座1180年祭を記念して、特に取り計らって神宮楽部に「善知鳥舞(うとうまい)」を制作させたが、これは青森の永久の安寧を願い、善知鳥(うとう)という鳥の親子の情愛を表現した舞である。 1988年(昭和63年)10月27日、大宮司として健康上の理由による鷹司和子神宮祭主の退任と池田厚子を新たに神宮祭主に奉戴したいと申し出た。翌10月28日、体調を崩された中でこれを承認し、同日池田厚子が祭主に就任した。 1990年(平成2年)3月、大宮司在任中のまま87歳で帰幽した。4月24日には、三重県営体育館にて神宮司庁葬が斎行された。 後任の大宮司には久邇邦昭が5月15日に就任し、俊が祖先と同じように準備に取り組んでいた第61回神宮式年遷宮を1993年(平成5年)に斎行した。
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