社債デフォルト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 00:25 UTC 版)
1927年(昭和2年)3月14日に第52回帝國議会で大蔵大臣片岡直温が「東京渡辺銀行が破綻した」と発言した。このため翌3月15日、東京渡辺銀行は休業となった。 しかし東京渡辺銀行は以前より経営難の噂があり、支店段階では取り付け騒ぎが発生していた。これを東京乗合自動車の日銭で乗り切る状況であった。実際、東京乗合自動車は東京渡辺銀行の最大預金者となっていた。また、社長の渡辺六郎が東京乗合自動車名義の支払手形を乱発し、東京渡辺銀行の資金に流用していることが発覚。渡辺六郎社長が辞任することになった。 1925年(大正14年)1月に東京乗合自動車が起債した第1回社債150万円が、償還期限の1928年(昭和3年)1月26日に償還不能に陥った。社債権者集会を経て、一部を現金償還し、大半は第3回社債への借り換えとなった。
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