東京乗合自動車の社債デフォルト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 03:33 UTC 版)
「堀内良平」の記事における「東京乗合自動車の社債デフォルト」の解説
1927年(昭和2年)3月14日に第52回帝國議会で大蔵大臣片岡直温が「東京渡辺銀行が破綻した」と発言した。このため翌3月15日、東京渡辺銀行は休業となった。しかし東京渡辺銀行はそれ以前より経営難の噂があり、支店段階では取り付け騒ぎが発生していた。これを東京乗合自動車の日銭で乗り切る状況であった。また、社長の渡辺六郎が東京乗合自動車名義の支払手形を乱発し、東京渡辺銀行の資金に流用していることが発覚した。 渡辺六郎が社長を辞任したのち、1931年(昭和6年)、堀内が社長に就任した。堀内の仕事は、渡辺家への債権回収と経営の立て直しであった。堀内は経営再建をすすめる一方で、東京市電気局に対して東京乗合自動車の身売り交渉を行っていた。しかし、1931年3月には社内の内紛により、社長を辞し、相談役になった。7月には相談役も辞任し、東京乗合自動車から去った。
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