磯浜古墳群とは? わかりやすく解説

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磯浜古墳群

(磯浜車塚古墳 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 22:22 UTC 版)

磯浜古墳群

日下ヶ塚古墳
所在地 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町
位置 北緯36度18分57.60秒 東経140度34分13.33秒 / 北緯36.3160000度 東経140.5703694度 / 36.3160000; 140.5703694 (磯浜古墳群)座標: 北緯36度18分57.60秒 東経140度34分13.33秒 / 北緯36.3160000度 東経140.5703694度 / 36.3160000; 140.5703694 (磯浜古墳群)
規模 古墳6基:前方後円墳2・前方後方墳1・円墳1・墳形不明2
築造時期 3世紀中頃-4世紀後半
史跡 国の史跡「磯浜古墳群」
地図
磯浜古墳群
茨城県内の位置
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磯浜古墳群(いそはまこふんぐん)は、茨城県東茨城郡大洗町磯浜町にある古墳群。3基が国の史跡に指定されている。

概要

茨城県中部、那珂台地の磯浜支丘末端部の太平洋鹿島灘)に面する位置に営造された古墳群である[1]前方後円墳2基(日下ヶ塚・坊主山)・前方後方墳1基(姫塚)・円墳1基(車塚)・墳形不明2基(五本松・五本松下)の計6基が遺存する[2]1949年昭和24年)に日下ヶ塚古墳の発掘調査が実施されているほか[3]、近年に測量調査・発掘調査が実施されている。

古墳群のうち日下ヶ塚古墳(ひさげづか、常陸鏡塚古墳)は墳長約101.4メートルの大型前方後円墳であり、1949年(昭和24年)の調査で人骨とともに鏡2面・石製模造品・玉類・鉄製品など4,100点におよぶ豊富な副葬品が検出されたことで注目される[4]。また車塚古墳は直径約88メートルの円墳で、円墳としては全国屈指の規模になる[5]

この磯浜古墳群は、古墳時代前期前葉(3世紀中頃)の姫塚古墳から築造が始まり、古墳時代中期初頭(4世紀後半)の車塚古墳で終焉を迎えたと推定される[2]。周辺の髭釜・一本松遺跡は弥生時代から古墳時代に続く大規模集落遺跡で、その流れで営造された首長墓群とされる[6]。太平洋を一望するとともに那珂川涸沼川水系の河口部に所在することから、被葬者が水上交通を掌握した様子が示唆される[4]。具体的な被葬者は明らかでないが、付近に鎮座する大洗磯前神社の神陵とする説のほか、仲国造一族の墓とする説などが挙げられている[7]

日下ヶ塚古墳・姫塚古墳・車塚古墳の古墳域は2020年令和2年)に国の史跡に指定されている[8]

遺跡歴

  • 文政8年(1825年)、日下ヶ塚権現台に遠見番所の設置[9]
  • 天保7-13年(1836-1842年)、遠見番所を強化して磯浜海防陣屋の設置[9]
  • 元治元年(1864年)、天狗党の乱で磯浜海防陣屋が焼失[9]
  • 『新編常陸国誌』に車塚・琵琶塚・徳利塚の記載[7]
  • 1949年昭和24年) 8月、日下ヶ塚古墳の発掘調査。副葬品多数の出土(國學院大學考古学研究室、1956年に報告書刊行)[3]
  • 1953年(昭和28年)、日下ヶ塚古墳・車塚古墳が「日下ヶ塚」・「車塚」として茨城県指定史跡に指定[3][10][注 1]
  • 1970年(昭和45年)、車塚古墳の測量調査(大洗町教育委員会、1971年に報告書刊行)[11]
  • 2009年度(平成21年度)、車塚古墳・姫塚古墳の測量調査(大洗町教育委員会、2013年に報告書刊行)。
  • 2010年度(平成22年度)、日下ヶ塚古墳の測量調査(大洗町教育委員会、2015年に報告書刊行)。
  • 2011年度(平成23年度)、車塚古墳・姫塚古墳の範囲確認調査(大洗町教育委員会、2013年に報告書刊行)。
  • 2012年度(平成24年度)、日下ヶ塚古墳の範囲確認調査(大洗町教育委員会、2015年に報告書刊行)。
  • 2019年度(令和元年度)、坊主山古墳の測量調査[12]
  • 2020年(令和2年)3月10日、日下ヶ塚古墳・姫塚古墳・車塚古墳が国の史跡に指定[8]
  • 2020年度(令和2年度)、坊主山古墳の範囲確認調査[13]

一覧

磯浜古墳群の一覧[2][14][4][5]
築造順 古墳名 座標 形状 規模 築造時期 史跡指定 備考
1 姫塚古墳
(ひめづか)
北緯36度19分4.55秒 東経140度34分15.95秒 前方後方墳 墳丘長29m 3世紀中頃 国の史跡
2 五本松古墳
(ごほんまつ)
北緯36度19分3.6秒 東経140度34分10.8秒 墳形不明 3世紀後半-
4世紀初頭
なし
3 五本松下古墳
(ごほんまつした)
北緯36度19分4.8秒 東経140度34分12.9秒 墳形不明 3世紀後半-
4世紀初頭
なし 地下保存[15]
4 坊主山古墳
(ぼちゃのやま)
北緯36度19分1.57秒 東経140度34分19.48秒 前方後円墳 墳丘長63m 4世紀前半-
4世紀中頃
なし
5 日下ヶ塚古墳
(ひさげづか、 
常陸鏡塚古墳)
北緯36度18分57.60秒 東経140度34分13.33秒 前方後円墳 墳丘長101.4m 4世紀中頃 国の史跡 副葬品4100点以上の出土
6 車塚古墳
(くるまづか)
北緯36度19分2.55秒 東経140度34分34.70秒 円墳 直径88m 4世紀後半 国の史跡 円墳としては全国屈指の規模
(不明) (消滅古墳) 北緯36度19分5.07秒 東経140度34分8.07秒 円墳 なし

文化財

国の史跡

  • 磯浜古墳群 - 日下ヶ塚古墳・姫塚古墳・車塚古墳の3基。2020年(令和2年)3月10日指定[16][8]

脚注

注釈

  1. ^ 茨城県指定史跡「日下ヶ塚」・「車塚」の指定日について、茨城県教育委員会サイトでは1953年(昭和28年)7月9日とするが、大洗町サイトでは1953年(昭和28年)3月19日とする。

出典

  1. ^ 常陸鏡塚古墳(古墳) 1989.
  2. ^ a b c 磯浜古墳群の国指定について(大洗町教育委員会生涯学習課文化振興係)。
  3. ^ a b c 日下ケ塚(茨城県教育委員会)。
  4. ^ a b c 日下ヶ塚古墳 史跡説明板。
  5. ^ a b 車塚古墳 史跡説明板。
  6. ^ 日下ヶ塚(常陸鏡塚)古墳の範囲確認調査の実施について(大洗町ホームページ)。
  7. ^ a b 鏡塚古墳群(平凡社) 1982.
  8. ^ a b c 令和2年3月10日文部科学省告示第17号。
  9. ^ a b c 磯浜海防陣屋跡(大洗観光協会)。
  10. ^ 車塚(茨城県教育委員会)。
  11. ^ 磯浜車塚古墳(古墳) 1989.
  12. ^ 坊主山古墳の測量調査(大洗町教育委員会)。
  13. ^ 坊主山古墳の範囲確認調査(大洗町ホームページ)。
  14. ^ 磯浜古墳群(茨城県教育庁 総務企画部 文化課)
  15. ^ 磯浜古墳群回遊マップ(令和元年11月20日 大洗町教育委員会生涯学習課 作成 )
  16. ^ 文化審議会の答申(史跡等の指定等)について(文化庁報道発表、2019年11月15日)。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『常陸鏡塚(国学院大学考古学研究報告 第1冊)』綜芸舎、1956年。 
  • 『大洗町車塚古墳群測量調査報告書』大洗町教育委員会、1971年。 
  • 『茨城県東茨城郡大洗町 車塚古墳・姫塚古墳 -平成21年度測量調査・平成23年度範囲確認調査概要報告書-(大洗町文化財調査報告書 第14集)』大洗町教育委員会、2013年。 
  • 『大洗町内遺跡調査報告書 2012・2013年度(大洗町文化財調査報告書 第17集)』大洗町教育委員会、2015年。 
  • 『茨城県東茨城郡大洗町 日下ケ塚(常陸鏡塚)古墳 -平成22年度測量調査・平成24年度範囲確認調査概要報告書-(大洗町文化財調査報告書 第18集)』大洗町教育委員会、2015年。 

関連項目

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