石原三兄弟のスリメダン鉄鉱山についてとは? わかりやすく解説

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石原三兄弟のスリメダン鉄鉱山について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 06:34 UTC 版)

マレー蘭印紀行」の記事における「石原三兄弟のスリメダン鉄鉱山について」の解説

本書「スリメダン」の章で登場するのが、石原広一郎石原新三郎らの三兄弟経営するスリメダン鉄鉱山である。石原三兄弟一人も、前述三五公司雇員であった本書にある(107ページ)。石原広一郎は、1918年大正7年初めてスリメダンに足を初め踏み入れ鉱量品質その他すべてが経済的経営をなすに有利な条件備うるものと確信得た後、1919年大正8年8月当時ジョホール王国採掘権出願し1920年大正9年7月にその認可得た。これがスリメダン鉄鉱山である。ただ元来英国保護領であった当時ジョホール王国シンガポールがその門戸であった関係から開港場を持たなかったので採掘し鉱石輸出する際に問題があった。石原側はイギリス政府及びジョホール王国国務大臣再三会見してバトパハを以て開港場とすべく交渉した。ときに第一次世界大戦後不景気にあたっており、ジョホール産業不振失業者続出という状態だったので、1920年ジョホール国王御前会議でバトパハを開港場となすことに決定した。これが海外において日本人申請により開港場新設され嚆矢となったのであるそのような紆余曲折があったが、台湾銀行融資得て石原産業前身である南洋鉱業公司をバトパハにおいて設立し1921年大正10年)には、八幡製鉄所鉄鉱石供給開始している。

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