石原三兄弟のスリメダン鉄鉱山について
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「マレー蘭印紀行」の記事における「石原三兄弟のスリメダン鉄鉱山について」の解説
本書「スリメダン」の章で登場するのが、石原広一郎、石原新三郎らの三兄弟が経営するスリメダン鉄鉱山である。石原三兄弟の一人も、前述三五公司の雇員頭であったと本書にある(107ページ)。石原広一郎は、1918年(大正7年)初めてスリメダンに足を初めて踏み入れ、鉱量、品質その他すべてが経済的経営をなすに有利な条件を備うるものと確信を得た後、1919年(大正8年)8月に当時のジョホール王国に採掘権を出願し、1920年(大正9年)7月にその認可を得た。これがスリメダン鉄鉱山である。ただ元来英国の保護領であった当時のジョホール王国はシンガポールがその門戸であった関係から開港場を持たなかったので採掘した鉱石を輸出する際に問題があった。石原側はイギリス政府及びジョホール王国の国務大臣と再三会見してバトパハを以て開港場とすべく交渉した。ときに第一次世界大戦後の不景気にあたっており、ジョホールも産業不振、失業者続出という状態だったので、1920年末ジョホール国王御前会議でバトパハを開港場となすことに決定した。これが海外において日本人の申請により開港場を新設された嚆矢となったものである。そのような紆余曲折があったが、台湾銀行の融資を得て石原産業の前身である南洋鉱業公司をバトパハにおいて設立し、1921年(大正10年)には、八幡製鉄所に鉄鉱石の供給を開始している。
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