矢田貝顕造とは? わかりやすく解説

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矢田貝顕造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/21 11:18 UTC 版)

矢田貝 顕造[1](やたがい けんぞう、1905年明治38年〉11月13日[1] - 1992年平成4年〉)は、日本政治家。鳥取県西伯郡岸本町長[2]。矢田貝家4代目。

経歴

鳥取県西伯郡大幡村大字上細見[3](のち西伯郡岸本町大字上細見、現・西伯郡伯耆町大字上細見)出身。矢田貝猶治の長男[3]1926年松江高等学校文科乙類卒業[4]京都帝国大学法科に入学、1年在学し、中退する[3]

農業を営む[1]1967年に岸本町長に就任し、1976年に退任する[2]。岸本町議会議員・同議長、教育委員会委員長、民生委員会会長、西部議長会会長などをつとめる[1]1985年に5代目淑朗の住む東京に転居する。

人物

趣味は旅行、読書[3]。座右の銘は、「禁酒禁煙」[3]。処世観は、「誠実、断行、冷静、公平」[3]

家族

矢田貝家

脚注

  1. ^ a b c d 『全国町村議会議長会十八年史』鳥取県641頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年9月21日閲覧。
  2. ^ a b 『岸本町誌』1314頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年9月21日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 『鳥取県人名鑑 昭和5年版』550 - 551頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年9月21日閲覧。
  4. ^ 『松江高等学校一覧 自大正15年至16年』卒業生85頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年9月21日閲覧。

参考文献

  • 松江高等学校 編『松江高等学校一覧 自大正15年至16年』松江高等学校、1922 - 1926年。
  • 鳥取新報社 編『鳥取県人名鑑 昭和5年版』鳥取新報社、1930年。
  • 『全国町村議会議長会十八年史』全国町村議会議長会、1967年。
  • 『岸本町誌』岸本町、1983年。

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