相武自動車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:38 UTC 版)
横浜市大岡町字樋ノ口(現在の横浜市南区通町)に本社を置き、野口貞一が代表者を務めた。弘明寺 - 大岡川村 - 本郷村 - 鎌倉町小町、弘明寺 - 日下村田中 - 屏風浦村杉田 - 横浜市滝頭町、鎌倉駅 - 逗子駅、逗子駅 - 六浦荘村三分瀬戸、横浜市南吉田町 - お三の宮 - 引越 - 戸塚町旭町、鎌倉駅 - 長谷大仏前 - 藤沢駅などを運行していた。1923年9月の関東大震災の影響を受け社業が傾いたが、それでも同月横浜市八幡橋 - 横浜駅(現在の桜木町駅)の新線を開業させた。しかし、奏功せず1925年に横浜市八幡橋 - 横浜駅、鎌倉駅 - 逗子駅、鎌倉駅 - 藤沢駅各線の撤退を余儀なくされた。1928年梁瀬長太郎(ヤナセ創業者)が社長に就任。横浜市南吉田町 - 戸塚町旭町の路線の起点を横浜市吉野町に変更して再建に務めていた。
※この「相武自動車」の解説は、「神奈川中央交通」の解説の一部です。
「相武自動車」を含む「神奈川中央交通」の記事については、「神奈川中央交通」の概要を参照ください。
- 相武自動車のページへのリンク