白岩氏の勃興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 02:35 UTC 版)
白岩(寒河江市白岩)の地は、寒河江川上流に大江氏宗家吉川の地を経て庄内と接し、寒河江川扇状地の上流と下流を分かつ要地であった。また、寒河江川は砂金を産出することが古代より知られており、上流の吉川(現:西川町吉川)出身の4代満教が下流の溝延(現:河北町溝延)に入り中流の白岩を押さえたことは、寒河江川の利権の多くを手にしたと考えられる。白岩氏の起こりは、大江時茂が南北朝の争乱に備えて寒河江荘を子や兄弟に分割して城や楯を築かせ、白岩の地には嫡男溝延茂信の子政広を配したことに始まる。白岩城は葉山山麓の南端、標高150mから220mの丘陵地に位置し、城域東西600m、南北450mの方形の区域に5つの楯を有する山城であった。北側東側には実沢川が流れ天然の要害であり、南側に3つの虎口を有していた。また、古代より朝廷や摂関家より保護を受けた慈恩寺は、田沢川・実沢川をはさんだ指呼の間にある。
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