白山水力の合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:36 UTC 版)
1933年(昭和8年)2月28日、矢作水力は白山水力株式会社を合併した。この白山水力は1919年(大正8年)6月に発足した電力会社で、同時期設立の矢作水力と同様、福澤桃介が相談役に座る福澤系の会社であった。社名にある白山を水源とする河川での電源開発、すなわち北陸地方での発電所建設を目的としており、1923年(大正12年)から1928年(昭和3年)にかけて、九頭竜川(福井県)に2か所、手取川水系(石川県)に2か所の水力発電所を完成させていた。これらの発生電力は主として東海地方の東邦電力へと供給された。 合併時、白山水力の資本金は2000万円であったが、業績の差から矢作水力との合併比率は白山水力10株につき矢作水力新株7.5株とされたため、矢作水力側の増資幅は1500万円に抑えられ合併後の資本金は8435万円となった。合併時白山水力の社長であった成瀬正忠(銀行家成瀬正恭の弟)は矢作水力の副社長に転じ、その後1940年(昭和15年)10月になって第2代社長の福澤駒吉が会長に昇格すると第3代社長に就任している。
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