発足・流星舎時代とは? わかりやすく解説

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発足・流星舎時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/02 19:42 UTC 版)

早稲田銅鑼魔館」の記事における「発足・流星舎時代」の解説

1976年鈴木忠志主宰する劇団早稲田小劇場富山県利賀村移転するにあたり拠点としていた早稲田小劇場を劇集団流星舎(代表森尻純夫)が運営引き継いで劇団拠点とし、劇場名を早稲田銅鑼魔館改名したその後建物所有していた有限会社モンシェリも森尻純夫が引き継ぎ土地取得木造建築取り壊し鉄筋コンクリート5階建てビル新築1978年10月新し劇場として開場した3階4階部分劇場空間とし、最上階には稽古場設置舞台部分間口は3間半奥行き2間半バトンまでの高さは5メートルだった。 こけら落とし公演は、劇集団流星舎「秋、少年と少女楽士たち」(作演出森尻純夫 出演石川辰夫、戸山純子 音楽バーミヤン亀井登志夫星川京児、石塚俊明ほか)、早稲田小劇場「サロメ」構成演出鈴木忠志 出演白石加代子 他)、須藤武子独舞、早池峰流山神楽・石鳩岡神楽など。 その後、劇集団流星舎の演劇公演中心に銅鑼魔館が製作した早池峰神楽岳神楽及び石鳩岡神楽をはじめ、哥以劇場月記」(1979年。作:岸田理生)、劇団楽天団(和田善夫主宰)、劇集団跛行舎、演劇企画「会」「女中たち」(1980年薄井幸雄=現・青山吉良主宰演出渡邊守章)、劇団音楽尾島由郎)や、堀内博子独舞、大竹宥熈など数々舞踏公演が行われた。

※この「発足・流星舎時代」の解説は、「早稲田銅鑼魔館」の解説の一部です。
「発足・流星舎時代」を含む「早稲田銅鑼魔館」の記事については、「早稲田銅鑼魔館」の概要を参照ください。

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