病名の由来と発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/25 18:45 UTC 版)
病名は川崎富作によって発見されたことに由来する。 神奈川県川崎市、川崎医科大学など上記以外の「川崎」を称する事物とは関係がない。かつて川崎市海岸部の工業地帯で大気汚染による公害(川崎公害)が問題化し、気管支喘息が多くみられた当時は地域特有の公害病と誤解される例も多かった。 1961年(昭和36年)、日本赤十字社中央病院(後の日本赤十字社医療センター)に勤務していた川崎富作が、発熱後に手や足の皮膚が剥がれ、抗生物質が効かない子供を初めて診察した。さらに同様の症状の患者を診療したことをきっかけに、従来の症例に当てはまらない新しい病気であることを確信した。川崎は1967年に日本語論文、1974年に英語論文を発表。当初は一介の小児科医の報告ととられ受け入れられなかったが、アメリカ合衆国で同様の症例が出現したことで、新しい病気として認知されるようになった。 1978年、世界保健機関(WHO)の国際疾病分類に掲載された。
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