申孝園(霊廟)宮沢賢治の歌碑
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国柱会・申孝園(こくちゅうかい・しんこうえん)江戸川区一之江6丁目19番18号。昭和3年(1928年)に造られ現在は国柱会本部とその霊廟、老人ホーム、医院があり、池では大賀蓮を鑑賞、春には桜祭りも開催される。国柱会は純正日蓮主義を唱えた田中智学が大正3年(1914年)に組織した在家仏教教団で日蓮宗とは別団体、当初は国家主義的な行動をとったが現在は国から認められた宗教法人で政治的活動はないという。幼少時の田中智学は一之江6丁目の妙覚寺29世・智境院日進を師として明治3年(1870年)10歳の時に得度した。 国柱会は作家・宮沢賢治が会員だったことでも知られ、昭和57年(1982年)宮沢賢治の50回忌追善のため、申孝園内に辞世の歌2首が刻まれた歌碑が建てられた。また大正12年(1923年)賢治の妹トシが亡くなった際、賢治は静岡県三保にあった国柱会本部でトシの分骨の納骨手続きをとっており、申孝園の霊廟にはトシの骨と賢治の遺形が納められているという。国柱会本部によれば遺形とは賢治直筆の手紙である。賢治の墓は岩手県花巻市の日蓮宗寺院・身照寺にある。
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