申年がしんに関する遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 16:29 UTC 版)
「申年がしん」の記事における「申年がしんに関する遺跡」の解説
前述のように、この飢饉の悲惨さは長く人々の記憶に残り、伝説として語り継がれた。鳥取県鳥取市内には、飢饉の悲惨さを物語る遺跡が現在でもいくつか残っている。 椎谷神社 鳥取市覚寺。この神社の手前に、良卯尼が住んでいた狼庵があった。現在でも多くの石塔が寄せ集められている。村人はこの一帯を「祟るところ」として恐れた。この近くに、良卯尼が1840年(天保11年)に建立した供養塔がある。 丸山の飢饉供養塔 鳥取市丸山。1843年(天保14年)に吉野屋栄次郎が施主となって建立した供養塔が、丸山バス停の近くに残る。
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