田中総理大臣をめぐって
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 09:58 UTC 版)
1972年(昭和47年)の自民党総裁選挙を巡り、福田が有力候補に上がった。かなり当選は濃厚と見られたが、最後の鍵を握っていた中曽根が最後の最後で田中角栄に付いたため、福田は負けてしまった。当時のニュース映像に、福田の地元で選挙を見守っていた福田の母親が「中曽根が憎い…」と嗚咽しながら語るシーンが収められていることからも伺われるように、福田と中曽根の間の抗争は熾烈を極めた。 また、佐藤派の小渕も、佐藤の意向に逆らって田中に投票した。これら一連の事柄に関して、当時TBS系列で放送されていた『時事放談』の中では、「中曽根は、福田おろしで金をもらっている」などという言葉が飛び出し、波紋を呼んだこともあった。 同年12月、第33回衆議院議員総選挙が行われた。この選挙戦で、福田は有権者の大きな同情を受け、断然の大量得票でトップ当選した。一方、中曽根は地盤を固め無難に当選したが、小渕は有権者の猛烈な反発を受け落選しかけたが、全国最少得票で辛くも当選した。前回、庭山昌を立てた公明党が擁立を見送り、前職以外の立候補者が日本共産党の遠藤功のみであったことに、小渕は救われた形だった。
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