産業化の時代とゴールドラッシュ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 07:01 UTC 版)
「ビッグサー」の記事における「産業化の時代とゴールドラッシュ」の解説
1860年代から20世紀への変わり目に掛けて、製材業が海岸に近いセコイアの木の大半を切り倒した。地元経済はタンオークの樹皮を取ることに基づく産業に加え、金の探鉱、および石灰岩の切り出しが行われ、今日よりも多くの仕事を提供し、人口も多かった。1880年代、ゴールドラッシュのブームタウンであるマンチェスターが南部のアルダー・クリークに出現した。この町は人口200人となり、店舗4店、レストラン1軒、酒場5軒、ダンスホール1軒およびホテル1軒ができたが、20世紀への変わり目から間もなく放棄され、1909年に大火で消失した。産業のために物資を供給するための信頼できる道路が無かったので、地元の事業家が海岸のビックスビー・ランディングなど幾つかの入り江に小さな船が寄せることのできる上陸施設を建設した。これら上陸施設は現在どれも残っておらず、この短期間に終わった産業の時代の名残はほとんど見ることができない。岩が多く孤立した地形のために最も頑健で自立できた開拓者以外は残れなかった。モントレーの町まで30マイル (50 km) の距離は荒く危険な道を荷車で3日間を要していた。
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