生駒トンネルルート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 08:36 UTC 版)
大阪府・奈良県境の生駒山地を直線的に越えるため、当初は鋼索鉄道(ケーブルカー)や索道(ロープウェイ)の利用さえも検討されたが、これでは高速都市間電車としての機能が失われることから、箕面有馬電気軌道(現:阪急阪神ホールディングス)の設立にもかかわった同社の筆頭取締役の岩下清周(後に大軌社長)の発案などにより、結局生駒山を複線規格の生駒トンネル(3,388m、当時日本第2位の長さ)で開削し、急勾配区間を大出力モーター搭載の300馬力電車で克服する、という大規模かつ先進的な策で攻略することにした。また計画も、全線が複線電化の標準軌(この当時の関西私鉄は、南海鉄道を除いて全てこの規格であった)路線に変更された。 1914年(大正3年)4月、大阪の上本町駅 - 奈良駅間30.8km(現・近鉄奈良線)を開業。この時点では奈良駅は仮駅で、同年7月に現在の近鉄奈良駅付近へ移転している。なお軌道法に基づいて路線の特許を取得したため、全区開業時の大軌線による大阪 - 奈良間の所要時間は55分で、官営鉄道関西本線列車に比べて15分も短縮した。
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