せいぶつたようせいじょうやく‐ていやくこくかいぎ〔セイブツタヤウセイデウヤクテイヤクコククワイギ〕【生物多様性条約締約国会議】
読み方:せいぶつたようせいじょうやくていやくこくかいぎ
生物多様性を保全し、生物資源の持続的な利用を可能にするために1992年の地球サミットで採択された生物多様性条約を批准した国による会議。
[補説] 1999年にカルタヘナ、2000年にモントリオールで開催された特別締約国会議(ExCOP1)で「バイオセーフティーに関するカルタヘナ議定書」を採択。2002年のCOP6(ハーグ)では、2010年までに生物多様性の損失速度を緩和することを目指す「2010年目標」が採択されたが未達に終わった。2010年にはCOP10(名古屋)で、遺伝資源の利用と利益配分(ABS)に関する名古屋議定書、2011年以降の新戦略計画「愛知目標」が採択されたが再び未達。2022年のCOP15(モントリオール)では「昆明モントリオール生物多様性枠組」採択された。
生物多様性条約締約国会議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 04:04 UTC 版)
「松本龍 (政治家)」の記事における「生物多様性条約締約国会議」の解説
2010年に愛知県名古屋市で開催された第10回生物多様性条約締約国会議では、議長に就任した。しかし、先進国と発展途上国の主張が激しく対立し、最終日まで合意に至らない状況となった。この事態を受け、松本は「最後の一秒までやります」と述べ、最終日に各国に対して議長案を提示した。しかし、最終日まで対立が解けない状況での議長案の採決には懐疑的な見方も強く、環境省内部でも大臣に恥をかかせて終わるのではないかと懸念の声が挙がるなか、議長案の作成が急遽進められた。
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