生年の推定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 05:17 UTC 版)
『作陽誌』によれば牧尚春は寺畑城陥落の際に小早川隆景に捕縛されたが、古希(数えで70歳)ながら最後まで戦った尚春に敬意を表してすぐに釈放されたという。 作陽誌の記述では年代に言及はないが、2004年刊行の 『久世町史 資料編第1巻』では天正3年(1575年)の事であると推測しており、これは信じるなら生年は永正3年(1506年)となる。 一方で、『新編吉備叢書』では寺畑城が陥落して毛利軍に捕縛されたのは宇喜多直家と毛利輝元が争っていた天正8年(1580年)の戦であるとしており、この時齢80であったとしているので、逆算すると生年は明応10年(1501年)となる。毛利軍の美作侵攻は天正3年(1575年)にも天正8年(1580年)にも萩藩閥閲録などで確認が取れるのでどちらが正しいかは不明だがいずれにせよ、天正年間中に相当の老齢であった事は確かなようである。
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