王宮伊豆神社とは? わかりやすく解説

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王宮伊豆神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 06:03 UTC 版)

王宮伊豆神社
所在地 福島県郡山市片平町字王宮17
位置 北緯37度24分58秒 東経140度17分49.5秒 / 北緯37.41611度 東経140.297083度 / 37.41611; 140.297083 (王宮伊豆神社)座標: 北緯37度24分58秒 東経140度17分49.5秒 / 北緯37.41611度 東経140.297083度 / 37.41611; 140.297083 (王宮伊豆神社)
主祭神 安積采女命、奥州草別大神、伊豆山神、箱根大神、三嶋大神、葛城親王[1]
社格 旧村社
創建 奈良時代
例祭 4月29日10月29日
地図
王宮伊豆神社
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王宮伊豆神社(おうのみやいずじんじゃ)は福島県郡山市片平町福島県道142号河内郡山線沿いに鎮座する神社旧社格村社

祭神

安積采女命
郡山うねめまつりなどで知られる采女伝説の主人公 春姫、采女として葛城親王に連れられてに上る
奥州草別の大神
創建以前から人々に祀られていた、この地の開拓を進めた地主神
伊豆山神
伊東祐長により勧請
箱根大神
伊東祐長により勧請
三嶋大神
伊東祐長により勧請
葛城親王
境内の禁足地が墓であるとも伝えられる[2]

歴史

711年和銅4年)、葛城親王阿尺国按察使兼班田使に任ぜられ、安積地方を開拓して後の発展の基礎を築いた。後にその偉業を称えるために造営された。当時の名前は奥州草別大社。

鎌倉時代源頼朝奥州征伐泉親衡の乱などの戦功で[3]安積祐長[4]安積郡45カ村を拝領すると、祐長は安積伊東氏の祖となり、故郷の氏神である伊豆山神、箱根大神、三嶋大神を勧請して合祀した[5]

1663年寛文3年)、片平組11ヶ村の総鎮守とされる。

1793年寛政5年)、現在も残る安積山東葛城王祠碑が建立される。

1871年明治11年)、村社に列格。

1957年昭和32年)、末社采女神社が完成。

1998年平成10年)、『緑の詩 : 郡山の森・林・樹木ガイドブック』(郡山市農林部林業課 編)に境内の杉並木が選ばれる[1]

その他

  • 春の例大祭では御輿渡御、秋の例大祭では舞の奉納などがあり
  • 随神門内に安置されている随神像は、1830年天保元年)12月、大仏師の法橋有慶の作と伝わる
  • 駐車場に自動車のお祓いのための神社がある

アクセス

脚注

  1. ^ a b 王宮伊豆神社 県内神社のご案内|福島県神社庁[リンク切れ]
  2. ^ 王宮伊豆神社|史跡|郡山の史跡・文化財・公共施設|郡山市観光協会
  3. ^ 安藤智重『安積歴史入門』歴史春秋社〈歴春ブックレット安積〉、2014年、18頁。ISBN 978-4-89757-841-5 
  4. ^ 父の工藤祐経が拝領したという説もある
  5. ^ 片平町の文化と歴史|郡山市、2024年3月6日閲覧。



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