王制復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 14:20 UTC 版)
「ノロドム・シハヌーク」の記事における「王制復活」の解説
その後、1989年にベトナム軍はカンボジアから撤退し、1992年3月に、国際連合による国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)は平和維持活動を始め、初のPKO参加となる日本の自衛隊も派遣された。 1991年11月15日にシハヌークは亡命先の北京から約13年ぶりにカンボジアに帰国した。 1993年4月から6月まで国連の監視下で総選挙が行なわれ、シハヌークの次男ラナリット王子の率いるフンシンペック党が第一党となった。なおポル・ポト派はこの選挙に参加せず、新しい連立政権と戦い続けたが9月には制憲議会が新憲法を発布、新憲法では立憲君主制を採択し、シハヌークが国王に再即位した。 1994年にクーデター未遂事件が発生したが、これを最後に国内はおおむね平定された。1998年4月には、中国や北朝鮮からの支援も途絶え、カンボジアの辺境にわずかに残ったポル・ポト派支配地域のみを統治していたポル・ポトが死んだことが明らかとなり、この地も平定された。
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