猫鬼事件とは? わかりやすく解説

猫鬼事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/21 09:27 UTC 版)

独孤陀」の記事における「猫鬼事件」の解説

独孤陀左道好んだ。かれの外祖母高氏はかつて猫鬼仕えていた。猫鬼高氏の子の郭沙羅殺し転じて独孤家に入ったという。文帝がこのことを仄聞したことがあったが、信じようとしなかった。たまたま独孤皇后楊素の妻の鄭祁耶が病にかかり、医者召し出して診察させたところ、ともに「これは猫鬼の病です」といわれた。文帝独孤陀独孤皇后異母弟であり、独孤陀の妻が楊素異母妹であることから、これは独孤陀仕業ではないか思いひそかにその兄の独孤穆に独孤陀説得させた。また文帝側近たちに独孤陀批判するのをやめさせた。しかし独孤陀文帝答えようとせず、文帝不快に思って独孤陀遷州刺史左遷した独孤陀文帝への恨み言発したとの話が朝廷伝わった文帝高熲蘇威皇甫孝緒・楊遠らに命じて事件糾明させた。独孤陀下女の徐阿尼が「わたくしはもともと独孤陀様のお母上の家から参った者で、いつも猫鬼仕えております子の日夜に猫鬼祀っておりますが、これは子は鼠だからだと言われおります。その猫鬼は人を殺すたびごとに、死者の家から財物ひそかに猫鬼を養う家へと移しております。かつて独孤陀様は家中より酒を探し出して、『元手なしで酒を売ることができよう』と奥様おっしゃいました。独孤陀様は『猫鬼を越公(楊素)の家に向かわせ、わたしの金銭を増やさせよう』とわたくしにおっしゃいました。そこでわたくしが猫鬼呪すと、数日後猫鬼楊素様の家に向かいました開皇11年591年)に帝が并州からお帰りなられると、独孤陀様は「猫鬼皇后ところに向かわせれば、多く賜物我が物となるだろう」と園中でわたくしにおっしゃいました。わたくしがまた猫鬼呪すと、猫鬼宮中入っていきました」と証言した。楊遠は門下外省で徐阿尼に猫鬼を呼ばせることにした。徐阿尼は夜間に香粥一盆を置いて、匙で叩きながら「なんじ来たるべし。宮中に住むなかれ」と猫鬼呼んだ。ずいぶんと経ってから、徐阿尼は顔色真っ青になり、引き回されようなしぐさをして、「猫鬼がやってきました」といった。 文帝がこの事を公卿諮問すると、牛弘が「妖かしは人によって起こるものです。その原因となる人を殺せば絶つことができます」と答えた文帝独孤陀夫妻を犢車に乗せるよう命じ自宅死なせようとした独孤陀の弟の独孤整が宮殿訪れて慈悲求めた。これにより独孤陀死罪免れたが、官爵剥奪されて民とされ、その妻の楊氏は尼とされた。先だってある人が母が人の養う猫鬼殺されたと訴えたことがあった。このときは文帝怪しげな話と怒って訴人譴責して退けた独孤陀事件の後文帝猫鬼行った訴えられた家の人を処刑した

※この「猫鬼事件」の解説は、「独孤陀」の解説の一部です。
「猫鬼事件」を含む「独孤陀」の記事については、「独孤陀」の概要を参照ください。

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