犯行と経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 17:50 UTC 版)
「ニコライ・デュマガリエフ」の記事における「犯行と経緯」の解説
判明しているだけで50人以上の男女を殺害して食したとされている。うち10人の女性を殺害した後、その遺体を解体してロシア料理を作っていたという。 1979年1月にセブンスデー・アドベンチスト教会の女性信者を、ウジナガシュ-メイブラク高速道(ロシア語: Шоссе Узунагач-Майбулак)近郊で殺害。同月25日に被害女性の遺体が発見され、刑事事件として扱われるも逮捕には至らなかった。 同年8月21日、酒に酔った状態で勤務先の消防署の同僚を誤って射殺。この時、セルブスキー研究所(ロシア語版) で統合失調症と診断されたが、1年も経たない内にデュマガリエフは釈放され、ウジナガシュへ戻った後さらに3件の殺人を犯している。 1981年1月、自宅へ友人やガールフレンドを招待し、その内の1人を殺して隣の部屋で遺体を調理している最中、泥酔した友人がデュマガリエフの部屋に間違えて入ってしまい、そこから友人らの通報で逮捕された。同年12月3日に裁判が行われたが、デュマガリエフは既に統合失調症の診断を受けていたことからソ連内の精神病院の閉鎖病棟へ収容され、電気ショック治療が行われた。その後、病棟の隔離室で8年間を過ごす。 1989年、KSSRの精神病院へ移送されることになったが、空港で隙を見て脱走した。その後ソ連各地を転々とし、更に殺人を繰り返した。 KGB(ソ連国家保安委員会)の捜査官がデュマガリエフ捜索に乗り出し、2年後の1991年12月、ウズベキスタンでデュマガリエフを再逮捕した。裁判で無期懲役が言い渡された。
※この「犯行と経緯」の解説は、「ニコライ・デュマガリエフ」の解説の一部です。
「犯行と経緯」を含む「ニコライ・デュマガリエフ」の記事については、「ニコライ・デュマガリエフ」の概要を参照ください。
- 犯行と経緯のページへのリンク