父の事業とウィリアムの幼少期
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「ウィリアム・ギブズ (実業家)」の記事における「父の事業とウィリアムの幼少期」の解説
ウィリアム・ギブズは、貿易商のアントニー・ギブズ(英: Antony Gibbs、1756年 - 1815年)と、妻ドロシア・バルネッタ(旧姓ハックス、Dorothea Barnetta Hucks、1760年 - 1820年)の次男として、スペイン・マドリードのカンタラナス通り6番地(西: No.6 Calle de Cantarranas)に生まれた。父アントニーは、デヴォン州クリスト・セント・メアリー(英語版)で、医師であるジョージ・エイブラハム・ギブズ(英: Dr. George Abraham Gibbs)の四男として生まれ育った。ウィリアムにとって祖父にあたるジョージは、後にロイヤル・デヴォン・アンド・エクセター病院(英語版)の外科医長にまで昇進している。またウィリアムの父方の伯父には、判事・政治家として活躍したヴィカリー・ギブズ(英語版)がいる。 アントニーは、兄弟でスペインを拠点とした羊毛貿易を行っていたが、事業はアントニーの兄が急死したことで破産する。また、兄弟の事業を経済的に支援した父も、この一件を機に破産した。ブリストルを拠点にする貿易商の元に弟子入りした後、スペインでの代理人として仕事を任され、自分の負債を清算し汚名返上するため、アントニーは新しい家族と共にスペインへ戻った。 ウィリアムの幼少期は英国・スペインの両方にまたがっている。兄ジョージ・ヘンリー(英: George Henry)が学齢に達したところで、家族はデヴォン・エクセターへ戻り、ウィリアムや兄弟はチャールズ・ロイド(英語版)が運営する学校に通った。1800年からウィリアムはティヴァートン(英語版)にあるブランデルズ・スクール(英語版)(英: Blundell's School)に通ったが、1802年には、事務所のあるカディスへ向かう父や兄の貿易旅行に同行するため退学している。兄弟は、父の事業の不安定さを反映するように、どちらもフルタイムの学校生活には戻らなかった。
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