熊野権現来臨の祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/16 01:11 UTC 版)
速玉大社は「熊野十二所権現」と総称される複数の神を祀るが、本祭礼はその中でも主祭神である速玉大神と夫須美大神に対してのもので、宗教民俗学的な解釈に従えば、常世から来た神霊が熊野川を遡上して御舟島に鎮座した後、乙基河原をへて新宮に遷座したという熊野権現来臨のありさまを再現した祭りである。 10月15日の神馬渡御式(後述)は、 阿須賀神社の神霊を速玉大社第二殿に迎える 神霊が御旅所へ渡御する 御旅所での祭儀の後、神霊が第二殿に還御する という構造をとっている。しかしながら、この構造を単に阿須賀神社から速玉大社への遷座と見ることはできない。「熊野権現御垂迹縁起」(『長寛勘文』所収)等に見られる熊野権現の縁起譚が伝えるところによれば、熊野権現は熊野の地において熊野権現はまず神倉神社に降臨し、次に阿須賀神社北側にある石淵(いわぶち)谷に勧請されて、その時に初めて結早玉・家津美御子と称した。その後、石淵谷から新宮に遷座したとしており、阿須賀から新宮にではない。すなわち、神馬渡御式の構造とは、熊野権現が石淵谷から新宮へと遷座した過程を表しているのである。 また明治以前まで祭が開かれていた旧暦9月15日から16日は、秋の末の望の日であり、近世の記録によれば14日には田楽も行われていたという。こうした点から、速玉祭は秋の収穫祭としての性格を帯びている。
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