火事のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 09:27 UTC 版)
この火災では、職員への消火訓練の励行や速やかな消防への通報、避難誘導のあり方などが教訓とされた。 その後、病院は再建され、現在も医療法人式場病院として患者の治療に当たっている。
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火事のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 09:55 UTC 版)
火災発生当時、院長の一杉満枝(当時43歳)はバチカンで開催されたカトリック教会の式典に日本代表として出席するためローマへ出張中で不在にしていた。そして2日後の2月19日に横浜港に帰国した時に初めてこの悲報を知り愕然としていたという。 死者数の内訳は入所者95名、職員2名、不明者2名の合計99名で、不明者2名は入所者の親族などが無届で泊まりに来ていたものと警察では推察したが現在に至るも2名の身元は不明のままである。なお、この死者数の特定には時間がかかり警察が発表したのは火災発生から4日後の2月21日になってからだった。 国家消防本部(現在の総務省消防庁)は火災の翌日、通達で社会福祉施設の速やかな耐火構造化の方針を示したが、耐火新設や改修などに国の補助がついたのは8年後のことである。 犠牲者の追悼ミサは、湘南白百合学園で行われた。 焼け落ちた養老院はその年の11月に鉄筋ブロック平屋建てで再建され、建て直しを経て現在も同じ地に聖母の園老人ホームや修道院、保育園、医院を併設して存在する。
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