濵家住宅西洋館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 01:42 UTC 版)
武蔵野市吉祥寺北町3丁目の成蹊学園近くの住宅地の一角にある「濵家住宅西洋館(はまけじゅうたくせいようかん)」は、2010年9月に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。武蔵野市内では初めての登録となる。この建物は、大正末期の1919年 - 1925年に成蹊学園がアメリカで製造されたツーバイフォー規格の建材を輸入し建てた木造2階建、寄棟造スレート葺、建築面積141㎡のプレファブ住宅。この建物の計画中の1923年には関東大震災が起きており、成蹊学園では地震に強い住宅としてこのツーバイフォー構法の建物を建築したとも推測されている。建築当時は旧制成蹊高校の学生寮「有定寮」として使われていたが、1932年に濱徳太郎が購入したため、現在は成蹊学園の所有物ではない。 当時の学園内には同じ様式の洋館が合計4棟建てられた。旧制高等学校の成蹊4寮といわれた静専寮(現・小学校の南側)、守之寮(現・第一職員住宅の位置)、操要寮(現・西部室の位置)、有定寮(現・西部室西側)で、後に操要寮は牽引され保健管理センターとして使用されたが、老朽化のため2000年に解体された。
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