消滅の危機と保存への動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/08 17:47 UTC 版)
「車駕之古址古墳」の記事における「消滅の危機と保存への動き」の解説
1988年に古墳の所在する場所で複数の開発業者により、宅地開発の動きがあり、地元の和歌山市教育委員会は、開発の断念を申し入れ、協議を重ねた。しかしながら、業者側の開発の意思は変わらず、宅地開発を前提とした全面発掘調査が行なわれることになった。1989年12月より調査が開始され、1991年まで3次にわたる発掘調査が行われた。その結果、段築の状況、葺石、造り出しの存在などが明らかにされたが、埋葬施設は確認されなかった。しかしながら、2次堆積層から金製勾玉1個が出土し、発掘調査の進展とともに、古墳への評価が高まり、各方面から古墳の保存と整備を求める要望書や陳情書が提出されるに到った。金製勾玉は韓国の新羅古墳などでは出土例はあるものの、国内の古墳では初の出土であった(沖縄県斎場御嶽遺跡からも出土例があるが時代が降ると思われる)。これを受け、当時の和歌山市長は古墳の保存を表明し、古墳のある場所を和歌山市が業者から買い取り、公有化されることとなった。
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