海峡区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 09:49 UTC 版)
正式名称は「山陽道西湖岸市海峡区」。かつての神戸市の廃墟を含めた、かつての琵琶湖西岸にして現在の日本海峡西岸の一帯。この内神戸の廃墟にある日本人が多く住む一角は「新神戸」とも呼ばれる。震災難民や不法入国の外国人が住み着き、治安が極度に悪化したスラムとなっていたが、自身の福岡返り咲きと南日本(サウスエリア)主導での南北統一を目指す夏木惇史知事により新道都とするための再開発が計画され、さらに副知事の宗方が自身の目指す独立国家路線の第一歩ならびにM資源開発の拠点と位置づけ南日本の国家的事業として開発に力を入れたため、わずか2年で南日本第三の大都市に成長した。宗方は董藤との会話で将来的には日本の首都にするという自らの構想を語っていたが、ロックウェル暗殺や再生特区日本の誕生を経て独立を果たした後に福岡から遷都、正式に南日本国の首都となる。
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