海士町政への進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/17 03:00 UTC 版)
「山内道雄 (政治家)」の記事における「海士町政への進出」の解説
1995年(平成7年)には海士町議会議員に当選し、1999年(平成11年)に2選を果たすと海士町議会議長に就任した。2002年(平成14年)には海士町長選挙に出馬。親の代で隠岐にやってきた山内は地方の首長選挙に重要な地縁・血縁がなく、当時の町議のうち女性議員1人以外は対立候補である前助役の竹谷範雄の応援に回った。しかし蓋を開けてみると、山内が1,214票、竹谷が765票を獲得し、山内は449票差の大差をつけて海士町長に当選した。有権者数は2,118人であり、投票率は93.96%の高さだった。 平成の大合併時には島前の2町1村(海士町・西ノ島町・知夫村)でも合併に向けた協議会が設立されたが、山内は海士町の単独町政の維持を選択し、2003年(平成15年)12月25日には島根県で初めて協議会を解散させている。解散の際の文書では「まさに島の存亡の危機に直面する中で、今後は三町村で力を合わせ、県や国に対して、このような島嶼地域にあっても自主的・主体的な行政運営が可能となるよう積極的に働きかけていく」と高らかに宣言している。
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