海員としての経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/17 13:43 UTC 版)
「フランク・ワースリー」の記事における「海員としての経歴」の解説
ワースリーはその会社の多くに船に乗務し、数年間ニュージーランドとイングランドの間の交易ルートを航海した。1891年には三等航海士になり、翌年には5等士官になった。1895年3等士官のときに、ニュージーランド・シッピング社を辞めてニュージーランド政府蒸気船サービスに移った。その最初の任務は太平洋諸島に向かう蒸気船ツタネカイで二等航海士だった。有能で経験を積んだ士官と認められたが、いたずらが嫌いではなかった。1899年のある航海でツタネカイは、ドイツ領サモアの首都アピアの港に停泊した。その夜、ワースリーは岸に揚がって、港の正面にあるドイツ領事館の国旗掲揚柱にたなびいていた国旗を盗んだ。ドイツ領事がこの盗難を発見すると、このとき港にいた唯一の商船であるツタネカイの乗組員の中に容疑者がいると考えた。領事は、やはり港に停泊していたSMSファルケの水兵一隊とともにツタネカイに乗船して国旗を探したが、船長が抗議した後で、手ぶらで出て行った。船長が後にワースリーが犯人だと分かったとしても、その経歴に影響することは無かった。その後ニュージーランド政府蒸気船サービスの別の蒸気船ヒネモアに一等航海士として指名された。 1900年6月、ワースリーは外国航路船の船長の資格試験を受け、優秀な成績で合格し、そのことで表彰された2人のうちの1人となった。これで船長資格を得ると最初にカウンテス・オブ・ランファーリーの船長を任された。これは南太平洋の交易ルートを担当するニュージーランド政府蒸気船サービスの3本マストスクーナーであり、主にニュージーランドの属国であるクック諸島とニウエに回った。
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