浦和おどり
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1976年(昭和51年)に浦和市観光協会が浦和ぼんぼり祭りのために市民に親しまれる踊りとして浦和おどりの歌詞の募集を行った。当時の浦和市長である中川健吉は浦和の祭りを推進し、お祭り市長として親しまれていた。募集の結果216編の中から当時中尾在住の16歳海老川充江の歌詞が選ばれ、市川昭介による作曲が行われ、同年10月1日に制定された。歌詞は5番まであり、1番に荒川と田島ヶ原、2番に別所沼とぼんぼり祭り、3番に見沼たんぼと見沼通船堀、4番に中山道及び浦和宿と調神社が登場する。歌は都はるみ・大川栄策が歌ったものを現在も使用しているが、2016年には吉武大地がカバーしている。 それまでは1968年に制定されたさくら草音頭が市民音頭として知られていたが浦和おどりに取って代わられた。1977年(昭和52年)8月21日の第一回浦和おどり大会が開催されて以後、現在も浦和まつりにおいて踊られている。また、旧浦和市域では小学校の運動会で種目の一つとして取り入れられており、動作も簡素なため現在でも踊り継がれている。
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