浅草駅構内の留置線について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 00:27 UTC 版)
「上野検車区」の記事における「浅草駅構内の留置線について」の解説
1957年(昭和32年)の銀座線輸送力増強計画において、車両増備に対応するために浅草駅構内に3本の留置線を設置することを決定した。そして、1968年(昭和33年)11月8日には浅草駅構内終端部を延長して、同駅の奥に6両編成3本が留置可能な留置線が完成した。 この留置線を使用し、1961年(昭和36年)12月から1965年(昭和40年)3月にかけて上野検車区浅草支区が設置された。これは上野検車区の車庫拡張工事に伴い、従来の検査設備が使用できなくなることから、拡張工事完成までの一時的な検査場所として使用された。ここでは交番検査(15日以内に実施する検査・現在は廃止)および毎日検査(当時・現在は10日以内に実施する列車検査)を実施していた。 現場は浅草駅ホーム端から入るものであったが、照明は暗く、足場も悪く、埃をかぶったトンネルであった。検車区施設とはいったものの、とても検査場と呼べるほどの設備ではなかった。
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