波せき地蔵堂
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座標: 北緯35度35分09.601秒 東経135度11分54.535秒 / 北緯35.58600028度 東経135.19848194度


波せき地蔵堂(なみせきじぞうどう)とは京都府宮津市大垣にある地蔵堂。標高約40メートルに位置する災害記念碑。
籠神社の奥宮である真名井神社の参道の途中にある。大宝元年3月26日(ユリウス暦701年5月8日、グレゴリオ暦5月12日)に発生したとされる大宝地震の際、津波がここで切り返したとの伝承が残る。この伝承を踏まえ、宮津市によって中野の集落に津波避難所の案内看板が設置されている。
参考文献
- 小林健彦「北陸、新潟県域の戦国期に於ける災害対処の文化史 : 事例の検出と人々の災害観を中心として」『新潟産業大学経済学部紀要』 (40), 2012-7, p.79-98, ISSN 1341-1551
外部リンク
波せき地蔵堂(京都府宮津市大垣)
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「大宝地震」の記事における「波せき地蔵堂(京都府宮津市大垣)」の解説
「波せき地蔵堂」も参照 標高約40m。大宝地震大津波 の災害記念碑。籠神社の奥宮である真名井神社への参道の途中にある。大宝元年3月26日(ユリウス暦701年5月8日、グレゴリオ暦701年5月12日)に発生した大宝地震大津波の際、この地点まで遡上したとの伝承がある。また、地蔵の側の案内板には以下のような記述がされている。 昔大宝年間(約一三〇〇年程以前)大地震の大津波が押し寄せたのをここで切り返したと伝えられ、以後天災地変から守る霊験と子育て病気よけの妙徳も聞こえる。又、日本の原点・真名井の神へのお取次もされると云う、あらたかなお地蔵さんである。 二千五百(ふたちいほ)鎮まる神の神はかり百(もも)の御生(みあ)れの時ぞ近づく平成八年八月八日
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