泉氏時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/04 11:50 UTC 版)
泉城は、源姓塩谷氏の重臣泉五郎兼重(和泉兼重)が東泉に城を築いたのに始まる。以後、泉氏は、塩谷氏の家臣として仕える。泉氏については、ほとんど記録がなく、代々泉五郎(和泉五郎)を名乗ったためか、各年代の記録には「泉・和泉」と姓のみか、「泉五郎・和泉五郎」としてのみ記載されていることが多く、何代目の誰なのか把握することが出来ない。唯一名前で確認出来るのは、初代の泉兼重と泉氏の泉城主としてはおそらく最後の代であろう泉直任だけである。なお、宇都宮家臣に泉惣吉という名が見えるが、これが泉城の泉氏と関係がある者か、その出自等は全く不明である。 泉氏は、塩谷氏のかなりの重臣だったようで、江戸時代中期に書かれた宇都宮氏の家臣書上張には、岡本正親よりも先に名前が列挙され、塩谷孝綱の家臣を記した文献には、泉城代として「泉五郎事塩谷宮内」と記され、主君の塩谷姓を名乗ることを許されていたふしすらある。 泉氏時代の泉城の記録についてはほとんど残っていないが、宇都宮氏の家臣の記録として天正12年(1584年)に泉五郎(直任)と宗八郎(同族であろうが、直任との関係は不明)が泉郷の支配であったことが記されており、塩谷氏の重臣大沢氏の記録(大沢家記)には、「天正拾五年(1587年)八月十一日、塩谷之内泉館那須より大勢責来(攻め来たり)」とあり、泉城が対那須の最前線であったことがうかがえる。ただ、この記述の年代については、大沢家記のこの近辺の年代にずれがあるため、必ずしも正確ではないことは付け加えておきたい。 しかし、天正18年(1590年)の小田原征伐の後、泉郷が岡本氏の支配となると、泉氏は泉城を退去して泉氏時代が終わる。
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