治安とギャンブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 22:29 UTC 版)
「オマハ (ネブラスカ州)」の記事における「治安とギャンブル」の解説
現代のオマハの治安は、全米平均よりはやや悪いものの、近隣の主要都市と比べると良い部類に入る。モーガン・クイットノー(CQプレス傘下)のデータによると、オマハはの治安はリンカーンやスーフォールズよりは悪いが、デンバーやデモインとはほぼ同程度で、ウィチタよりはやや良く、カンザスシティ(ミズーリ州側・カンザス州側とも)よりはかなり良い。 しかし、歴史上のオマハは治安の悪い街であった。1850年代に創設されてから1930年代までは、オマハはあらゆる類のギャンブルが事実上認められていた無法地帯であった。1930-70年代には、オマハのギャンブルはイタリア系犯罪集団に牛耳られていた。20世紀中盤には、オマハは違法ギャンブルや売春、麻薬取引の中心地となっていた。そこに人種間の緊張や失業、貧困が相まって、オマハの治安は悪化した。1986年にロサンゼルスのギャングがオマハに支部を設けると、オマハの暴力犯罪率は急上昇した。1990年代末から2000年代初頭にかけては、ギャングによる暴力犯罪や、オマハ市警察とアフリカ系住民のコミュニティとの間で起きた数々の事件によって、ノースオマハとサウスオマハのグループ間の関係が悪化した。それ以降では、主にサウスオマハに住むヒスパニック系住民が、貧困や新しい社会への適応、差別に苦しんでいる。 今日では、オマハにおけるギャンブルはキノ、宝くじおよびパリミュチュエル方式のもののみが認められており、カジノは違法とされている。一方、アイオワ州では一切のギャンブルが合法であり、カウンシルブラフスでもカジノが営業している。2008年、ネブラスカ州のポンカ族が、周囲をオマハ市域に囲まれた、アイオワ州の飛地になっているカーターレイクにインディアン・カジノを建設することを、全米インディアンカジノ委員会が承認すると、波紋を呼んだ。
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