池田斉訓とは? わかりやすく解説

池田斉訓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 05:52 UTC 版)

 
池田斉訓
池田斉訓
時代 江戸時代後期
生誕 文政3年7月25日1820年9月2日
死没 天保12年5月16日1841年7月4日
戒名 瑞徳院殿智覚良温大居士
墓所 鳥取藩主池田家墓所
官位 従四位下侍従因幡守左近衛権少将、従四位上
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
因幡鳥取藩
氏族 因州池田家
父母 父:池田斉稷、母:高沢氏
兄弟 斉訓、素姫、池田斉衆正室、松平忠彦正室ら
泰姫
養子:慶行
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池田 斉訓(いけだ なりみち)は、江戸時代後期の大名因幡鳥取藩9代藩主。官位従四位上左近衛権少将

略歴

8代藩主・池田斉稷の次男として誕生した。

父・斉稷は始め徳川家斉の十三男を養嗣子・斉衆としたため、斉訓は庶子扱いだったが、文政9年(1826年)に斉衆が早世したため嫡子となる。天保元年(1830年)、父・斉稷が死去して家督を継ぐ。天保2年(1831年)、将軍家斉の前で元服式を行い、偏諱を受け斉訓と名乗る。従四位下侍従に任じられ、因幡守と称す。その後、家斉の娘・泰姫と婚約し、徳川宗家より厚遇される。天保6年(1835年)、左近衛権少将に昇任する。天保7年(1836年)、領国鳥取で天保の大飢饉が深刻化し、申年がしんと呼ばれた。天保11年(1840年)、泰姫と婚儀が行なわれ、従四位上に昇任する。

天保12年(1841年)、江戸城で死去した。法号は瑞徳院殿智覚良温大居士。嗣子が無かったため、分家の池田仲律の長男・慶行が養子として跡を継いだ。墓所は鳥取藩主池田家墓所

系譜

参考文献

  • 財団法人史跡鳥取藩主池田家墓所保存会/作成『史跡 鳥取藩主池田家墓所』(2006年3月31日刊行)

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