水道をめぐる歴史
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新鶴村(同町の一部で、同町に合併前の新鶴村)では、1954年(昭和29年)以来、簡易水道を布設して管理を行ってきたが、1963年(昭和38年)5月新屋敷水源地が汚染され赤痢病が発生し714名の罹患者を出し、金田利雄新鶴村長を筆頭とした村当局は原因究明、整備、補強工事等の危機対応にあたり、調査の結果、当該水源地は安全上問題があり、その代替として二岐、仏沢両地区に安全性に優れた水源地を見出し、金田利雄新鶴村長のもと、参院建設委員長等歴任の大河原一次参議院議員と連携して国会に請願した「簡易水道布設費国庫補助に関する請願」が1963年(昭和38年)12月21日に受理され、その結果、大規模測量、大規模工事を要する大事業であった広域簡易水道を完成させた。
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水道をめぐる歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 03:46 UTC 版)
昭和29年以来、簡易水道を布設して管理を行ってきたが、昭和38年5月新屋敷水源地が汚染され赤痢病が発生し714名の罹患者を出し、それを受け、金田利雄新鶴村長を筆頭とした村当局は原因究明、整備、補強工事等の危機対応にあたり、調査の結果、当該水源地は安全上問題があり、その代替として二岐、仏沢両地区に安全性に優れた水源地を見出し、金田利雄新鶴村長のもと、参院建設委員長等歴任の大河原一次参議院議員と連携して国会に請願した「簡易水道布設費国庫補助に関する請願」が昭和38年12月21日に受理され、国の協力を得ながら大規模測量、大規模工事を要する大事業であった広域簡易水道を完成させ、そのことは国会議事録(昭和39年2月13日参議院社会労働委員会議事録16頁)にも掲載されている。
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