水戸藩郷士 大内氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 17:46 UTC 版)
「大内氏 (源氏)」の記事における「水戸藩郷士 大内氏」の解説
また、主家の秋田転封に随行せず、常陸国に在国した大内氏については、水戸藩により郷士に取り立てられた。大内勘右衛門は田中中村に50石を与えられたという。この郷士登用には水戸藩の新藩主となった水戸徳川家が旧領主 佐竹氏一門の西丸氏や長山氏などとともに配下に組み入れることで撫民政策を取る狙いがあったという。また、水戸藩領内からは江戸時代中期から後期にかけて活躍した大内清衛門が出る。清衛門は諱を利貞といい代々、那珂郡前浜村に隅、後に湊村に移り、回船・海産物問屋を営み、北海道貿易で巨利を得るという。兄の大内五郎衛門彰信の養子となり、献金により郷士となるという。格式代官列、350石を給され、勘定奉行、格式小納戸役、湊殻会所仕法懸に昇るという。また、江戸時代後期に水戸藩の百姓から藩士となった者として、大内正敬が出る。正敬は代々百姓であった久慈郡留村の大内重政の子として生まれたが、小宮山楓軒に師事して、郡方勤となり、弘道館句読師を経て彰考館に入り、歩士格・弘道館訓導、北郡勤め、南郡勤めなど歴任し、小宮山の手代として民政に尽力したという。
※この「水戸藩郷士 大内氏」の解説は、「大内氏 (源氏)」の解説の一部です。
「水戸藩郷士 大内氏」を含む「大内氏 (源氏)」の記事については、「大内氏 (源氏)」の概要を参照ください。
- 水戸藩郷士 大内氏のページへのリンク