水戸藩士里見氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 06:10 UTC 版)
出羽里見氏の傍流は、水戸藩に仕えた。 江戸時代初期、最上家(山形藩)は最上家親の代に発生したお家騒動(最上騒動)によって、江戸幕府の命により改易された。最上家臣であった里見義親は加賀藩主・松平筑前守に召抱えられたが、かつての主筋の山野辺義忠(最上家親の実弟)が水戸藩に仕官したのに伴い、加賀藩を辞して自らも水戸藩に再仕官することとなった。 この義親の子孫に幕末の志士・里見四郎左衛門親長がいる。親長は戸田三衛門忠之の娘と婚姻し、嫡男・里見親賢が生まれる。親長・親賢親子は、縁戚である水戸藩家老戸田忠太夫・安島帯刀兄弟とも関係が深く、尊皇攘夷に邁進、天狗党の乱にて諸生党の攻撃を受けて討ち死にしている。 このほか、水戸藩に仕えた里見氏には、前述の安房里見氏の傍流(里見義堯の五男の系統)がある。
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