比企城館跡郡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 比企城館跡郡の意味・解説 

比企城館跡郡
菅谷館跡
松山城跡
杉山城跡
小倉城跡

名称: 比企城館跡郡
 菅谷館跡
 松山城跡
 杉山城跡
 小倉城跡
ふりがな ひきじょうかんあとぐん すがややかたあと まつやまじょうあと すぎやまじょうあと おぐらじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 埼玉県
市区町村 比企郡嵐山町
管理団体 埼玉県(昭51・726)
指定年月日 1973.05.26(昭和48.05.26)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 平成20.03.28
解説文: S51-12-028[[菅谷館跡]すがややかたあと].txt: 昭和48年5月26日史跡指定した菅谷遺跡については、当時指定管理方針確定していなかったため東側の堀跡の一部が未指定終わったが、昭和51年12月埼玉県史跡用地として管理することが決定したので、追加指定する
S48-05-130[[菅谷館]すがややかた]跡.txt: 鎌倉時代の有力御家人として著名な畠山重忠館跡である。重忠は、父重能の代から大里郡畠山荘の荘司であり、はじめ同荘内に館を置いていたが、やがて鎌倉街道要衝にあたる菅谷移って館を構えたもので、元久2年(1205)重忠が死去したあとは、畠山名跡継いだ足利義純の子孫に伝えられた。
 館跡都幾川槻川合流点北側にあり、中央やや南寄りに、長方形本丸を置き、その北側二の丸三の丸などを配置し、各郭を土塁・堀で防備している。郭の配置土塁構築法には近世的な平城特徴うかがえるが、本丸は単郭式の館の面影とどめており、鎌倉時代菅谷館中心部分と思われる中世館跡遺構として数少ない遺跡であり、保存度もきわめてよい。
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  武蔵国府跡  武蔵府中熊野神社古墳  段の塚穴  比企城館跡郡  比恵遺跡  比曽寺跡  比江廃寺塔跡



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

比企城館跡郡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



比企城館跡郡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS