母 (1926年の映画)
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母 | |
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Мать | |
![]() ポスター | |
監督 | フセヴォロド・プドフキン |
脚本 |
ナターン・ザルヒ マクシム・ゴーリキー (原作) |
出演者 |
ヴェラ・バラノフスカヤ ニコライ・バターロフ |
音楽 |
ダヴィド・ブロク (1935年版) ティホン・フレンニコフ (1970年版) |
撮影 | アナトリー・ゴロブニヤ |
製作会社 | メズラポンフィルム |
公開 |
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上映時間 | 89分 |
製作国 |
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言語 | 無声 |

『母』(はは、露: Мать、ラテン語表記:Mat)は、1926年に制作されたソビエト連邦のモノクロサイレント映画で、監督はフセヴォロド・プドフキン。ロシア第一革命時、ツァーリ支配に抵抗した一人の女性を描く[1]。『聖ペテルブルクの最後』(1927年)[2]、『アジアの嵐』(1928年)へと続くプドフキンの「革命三部作」の第1作[3]。 エイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」、ドヴジェンコの「大地」とともに、ソビエト・サイレント映画の三大名作の一つと言われている[4]。
あらすじ
帝政ロシア期、ペラゲーヤには飲んだくれの夫ウラーソフと、真面目な息子パーベルがいた。息子は労働者運動に身を投じ、一方、夫はそれに敵対するスト破りの仲間に入る。ある日、工場で両者は衝突、ウラーソフは射たれて死んでしまう。自宅に武器を隠し持っていたという理由でバーベルが逮捕される。茶番のような裁判の末、息子は懲役刑に処せられる。母親は現実を学び、革命運動に参加。数百人のデモ隊と一緒に刑務所に押し寄せる。囚人たちが解放され、母子は再会するが、皇帝軍の鎮圧によって母子とも殺されてしまう。
キャスト
- ペラゲーヤ・ニーロヴナ・ヴラソワ - 母:ヴェラ・バラノフスカヤ
- パーベル・ヴラソフ - 息子:ニコライ・バターロフ
- ミハイル・ヴラソフ - 夫:アレクサンドル・チスチャコフ
- アンナ - 息子の恋人:アンナ・ゼムツォワ
- ヴェソフチチニコフ - 息子の友人:イワン・コヴァル=サンビルスキー
- 警官:フセヴォロド・プドフキン
スタッフ
- 監督:フセヴォロド・プドフキン
- 脚色:ナターン・ザルヒ
- 原作:マクシム・ゴーリキー 小説『母』(1906年)
- 製作:メジュラブ・ルーシ モス・フィルム
- 撮影:アナトリー・ゴロブニヤ
- 美術:セルゲイ・コズロフスキー
- 音楽:ダヴィド・ブロク (1935年版)、ティホン・フレンニコフ (1970年版)
エピソード
- プドフキンはその著書『プドフキン映画創作論』『プドフキン映画俳優論』の中でこう書いている。「私は初期の作品『母』において、観客に感動を与えようと試みた。俳優の心理的な演技ではなく、編集でプラスチックを統合することによって」[5]
評価
- 映画監督グリゴリー・ロッシャリーはプドブキンの革新的なスタイルを称賛している。「映画のモンタージュを用いて性格描写を生み出すというアイディアを導入したはじめてのもの。ディケンズが小説でやったことを、彼は映画でやってしまった」[6]
- 1958年10月のブリュッセル万国博覧会国際優秀映画祭のためのベルギー王立シネマテーク主催の映画史上のベストテンでは8位。
公開
日本では「戦艦ポチョムキン」ともども、戦前には輸入を禁止されていた。 1935年、ダヴィド・ブロク作曲によるサウンド版が完成。 1968年、モスフィルムによって復元が行われ、新たにティホン・フレンニコフの音楽が加えられた[7]。 日本では、この復元版が1970年に初公開された。
脚注
- ^ Roger Manvell (1955). The Film and the Public. Pelican Books. pp. 112–116
- ^ 聖ペテルブルクの最後(アテネ・フランセ文化センター)
- ^ Мать VokrugTV
- ^ 山田和夫『映画史上ベスト200シリーズ・ヨーロッパ映画200』、キネマ旬報社刊、1992年5月30日発行(42-43ページ)
- ^ Vsevolod Pudovkin (1954). Film technique and Film acting. The cinema writings of V.I. Pudovkin. Vision Press Limited. p. xvii
- ^ Roger Manvell, ed (1949). Experiment in the Film. The Grey Walls Press Ltd.. pp. 157–159
- ^ "Tikhon Khrennikov – Works" Archived 2008-09-18 at the Wayback Machine.
"Музыка к фильмам" (film music) Archived 2014-03-17 at the Wayback Machine., Tikhon Nikolaevich Khrennikov home page (ロシア語)
外部リンク
- 母 - KINENOTE
- 母 - IMDb(英語)
- 母 - インターネット・アーカイブ
- 母 - インターネット・アーカイブ
- 母 - オールムービー(英語)
「母 (1926年の映画)」の例文・使い方・用例・文例
- 私の母は言語学者です
- 私は母の顔に暗い影がさっとよぎるのを見た
- 彼は母の忠告に従った
- あなたのお母さんは年相応にはほとんど見えない
- 母さんも老けたなあと悲しく思った
- 母が病気だったので上司は私に2,3日余計に休むことを認めてくれた
- 彼女はほとんどまるで私の母親のような口ぶりだった
- 彼女は母親の病気にひどく苦しんでいる
- 彼は母親にしかられたとき口答えをした
- 母は彼女のことが気に入らない
- 母が私のために歯医者の予約をとっておいてくれた
- ロビンソン夫人はあなたのお母さんとほぼ同じくらいの年齢だ
- 母親は仕事の手を休めて息子の言い分を聞いてやった
- 私の母は授業料について問い合わせた
- 彼は祖母に強い愛情を抱いている
- 母は日曜日にはパンを焼く
- 彼の母のやさしさが父の厳格さを相殺するものとして働いている
- その小さな男の子は母親のそばに立っていた
- お母さんの助言は逆効果だったかもしれないが,君のためを思ってしたことを分かるべきだ
- 父は母よりも料理がうまい
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