殿山泰司に改名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 16:16 UTC 版)
中国湖北省で終戦を迎えた殿山は復員後、興亜映画に所属していたスタッフや俳優を引き取っていた松竹大船撮影所で自身の所属を確認して俳優活動を再開、殿山泰司と芸名を改めて映画界に復帰する。新藤兼人脚本・吉村公三郎監督作品への出演を通じて彼らと交流を深め、1950年(昭和25年)に新藤、吉村が松竹を退社して「近代映画協会」を設立した際には創立メンバーとして参加した。 以後、新藤・吉村の監督作品の常連をつとめた後、その他の名だたる監督からも支持を受けて役者としてのキャリアを積み上げていく。新藤の『裸の島』では島の男の役で乙羽信子と共演(これは一言も喋らない、台詞の無い脚本)、同じく新藤作品の『人間』では漂流する漁船の船長役で、それぞれ主役をつとめた。『裸の島』はモスクワ国際映画祭グランプリを始め数々の国際映画祭で受賞し、『人間』で殿山はNHK映画賞主演男優賞、毎日映画コンクール男優主演賞を受賞した。
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