殉教事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 16:00 UTC 版)
1940年、当時の首相であったピブーンソンクラームは、ラッタニヨム(愛国信条)によって国内のタイ国籍保有者を「純粋な」タイ人にするため、タイ国籍保有者に仏教徒となることを義務づけた。同年、ムックダーハーン県では地元警察当局が2人のシスターと5人の村人に仏教への改宗を要求、7人はこれを拒否し、結局銃殺された。この事件はその後長い間忘れられていたが、1980年代に行われたカトリック史発掘運動で注目され、1989年には教皇によって殉教者に認定された。現在、この殉教場所では奇跡が相次いで起こったこともあって、殉教者センターが開設された。
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