死亡に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 09:23 UTC 版)
洪仲丘は徴兵により、新竹県湖口郷陸軍第六軍団機甲542旅団に伍長として所属していた。洪は2013年7月6日に退役する予定であったが、6月末にカメラ付き携帯電話とMP3プレイヤーを軍営に持ち込んだ事を咎められ、軍の安全保密規定に抵触するとして士官賞罰委員会にかけられ、桃園県楊梅市にある機歩269旅団の高山頂駐屯地に送られて「悔過」処分を受けた。 処分中の7月3日、屋外気温が非常に高い中、洪は訓練を命じられた。洪は訓練中に水を求めたが、監視者は一度だけ飲水を許し、それ以降は許さなかった。17時30分に訓練が終了した際、洪は熱中症から呼吸困難と痙攣を発した。洪はまず桃園県内の病院に送られたが既に体温が44度に達していた。その後台北市の三軍総医院に送られたが、高体温、全身の内出血など症状は余りに深刻で、4日早朝に死亡した。死因は過度の運動により引き起こされた熱中症・低ナトリウム血症から来る多臓器不全とされた。
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