歴史・民俗・産業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/04 04:48 UTC 版)
古くは「西島」「貝俣島」「狩俣島」と呼ばれていた。福江藩時代の安永元年(1772年-1773年)に大村藩の外海地区(現・長崎市)よりキリシタン16戸70名が移住し、現在も北部の大平教会、南部の土井ノ浦教会がある他、明治期の迫害の際に信徒が隠れ住んだ「キリシタン洞窟」が残る。 中世-近代は、島の西部は日島村、島の東部は中通島西部と併せて若松村であった。1956年(昭和31年)に2村が合併して若松町が成立、さらに2004年(平成16年)に5町の合併で新上五島町の一部となった。 起伏が激しく平地が少ない地形のため、基幹産業は漁業である。リアス式海岸で波静かな港があり、沿岸漁業も養殖業も行われている。
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