佐田岬砲台
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佐田岬砲台(さだみさきほうだい)は、愛媛県西宇和郡伊方町正野にあった大日本帝国陸軍の砲台[1]。佐田岬半島先端部に位置し、高島砲台、関崎砲台、丹賀砲台、鶴見崎砲台などともに、豊予要塞を構成する砲台として、豊予海峡の防備のため1924年より整備され[2][3]、岬の先端3kmは事実上砲撃基地となった[4]。1945年終戦により廃止された。戦後長く放置されていたが、2017年になり一部が観光用に整備された[5]。
- ^ a b c d 歴史の証人 戦争遺跡 愛媛新聞 2015年08月02日 ジュニアえひめ ピントW (全1,807字)
- ^ a b c d e f g h (戦争遺跡を訪ねて:1)佐田岬砲台 火を噴くことなく敗戦 /愛媛県 朝日新聞 2016年08月15日 大阪地方版/愛媛 21頁 愛媛全県 写図有 (全1,058字)
- ^ [情報ランド]戦跡、慰霊碑 2001年07月11日 読売新聞 東京朝刊 20頁 写有 (全6,889字)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 突貫工事 負の歴史(眠る砲台跡 佐田岬半島から:1)/愛媛 朝日新聞 1999年08月15日 大阪地方版/愛媛 29頁 愛媛 写図有 (全1,386字)
- ^ a b c d e 愛媛)佐田岬灯台望む展望台など整備 砲台跡にレプリカ 朝日新聞 2017年4月3日03時00分 2017年11月14日閲覧
- ^ a b c 漂流米兵 弾撃てず(眠る砲台跡 佐田岬半島から:8) /愛媛 朝日新聞 1999年08月24日 大阪地方版/愛媛 21頁 愛媛 写図有 (全860字)
- ^ a b c d e f g h i j k l m 忠魂碑 犠牲者の名刻む(眠る砲台跡 佐田岬半島から:6)/愛媛 朝日新聞 1999年08月21日 大阪地方版/愛媛 29頁 愛媛 写図有 (全727字)
- ^ a b c d e 旧正野谷桟橋 文化遺産オンライン 2017年11月13日閲覧
- ^ google street view 奥の廃屋が弾磨き鍛造所 2017年11月13日閲覧
- ^ 車軸など50点 伊方町教委 佐田岬の御籠島 砲台跡から大砲一部 2016年6月23日(木)(愛媛新聞)
- 1 佐田岬砲台とは
- 2 佐田岬砲台の概要
- 3 参考文献
正野谷桟橋
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1926年、第2砲台の建設のために正野谷桟橋という軍用桟橋が第2砲台の北側の海岸に設けられた。桟橋は長さ50m、幅5mの規模。総延長は73m。第1・第2砲台を分解して搬出する際にも使用された。24本の円柱を海に建て、その上に鉄筋コンクリート製で桟橋が築かれている。陸地側は緑泥変岩を積み上げた石垣による桟橋になっている。両者の接続部分には花崗岩が配置されている。地元住民は「軍艦波止」と呼んでいる。県道256号から正野谷に沿って北側に500m歩道を下った海岸にある。
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